ヤコブ・クライン名誉教授による古代史セミナー報告No.3
古代史ゼミで、外国人研究者によるセミナーNo.3を行いました。(唐橋教授、受け入れ)
【研究者氏名】
Jacob Klein (ヤコブ・クライン)
【所属機関】
Bar-Ilan University, BIU(バル・イラン大学)
【職名】
Professor Emeritus (名誉教授)
【セミナー報告】
2009年2月6日(金)
Sumerian Royal Hymns and Biblical Parallels
【概要】
バル・イラン大学名誉教授ヤコブ・クラインが、2009年2月6日本学において “Sumerian Royal Hymns and Biblical Parallels” というタイトルで講義を行った。講義の内容をおおまかにまとめると次のようになる。
シュメール語の王讃歌は、内容と形式からRoyal PrayersとGenuine Royal Hymnsの二種類に分類できる。前者は宗教的儀式で、後者は王の戴冠式や結婚式等で用いられた。元々讃歌は神々あるいは神殿を称えるためのものであったが、紀元前3前年期末のウル第三王朝時代から王を称える王讃歌が登場する。そして、イシン・ラルサ時代を経て古バビロニア(ハムラビ王朝)時代まで宮廷の詩人たちによって創作された。しかし、その後王讃歌というジャンルは消滅し、アッカド語ではこの類の文学作品は存在しない。この状況をクライン教授は、王の神格化と結びつける。すなわち、ウル第三王朝第二代王シュルギが、その治世半ばで自らを神格化するのと、王讃歌が盛んに制作されるのが連係していると看做し、古バビロニア時代後王讃歌が作られなくなったのは、王=神という考え方が継承されなかったためであると解釈する。
旧約聖書の『詩篇』の中にも王讃歌が10編程含まれている(2、18、20、45、72、89、101、110、132章等)。これらの讃歌は、メソポタミア文学がカナンの地に伝わり、その影響下に作られたと推測可能であるが、それを証明するようなカナン文学は何一つ残されていない。またエジプトの影響も受けていることが第20章などから窺える。(なお、ウガリット文学の中に王讃歌が見られないことは注目すべきである。)これらの王讃歌の中に、王の神格化を暗示するようなフレーズがあることが指摘されてきた:「お前はわたしの子、今日わたしはお前を生んだ」(詩篇2:7)(「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」(サムエル記下7:14)も参照せよ)。これは、イスラエルの神学理論の枠組みにおいて、王の神格化ではなく、神が王を養子にするという解釈の方が適切であろう。
(注:このイベントは終了しました。)