【学部長メッセージ】おくることば:人生の最適化問題を解く
卒業生の皆さん,ご卒業おめでとうございます.御父母の皆様も,手塩にかけて育ててこられたお子様が立派に成長され,社会人として歩み出す姿をご覧になって,ほっとされているのではないでしょうか.本当におめでとうございます.
さて,卒業後,新しい環境の中で活躍するためには,日常の努力の積み重ねとともに,将来を見通して,自分がどのようなポジションで活躍しているかという姿をイメージできることが大切であると思います.そして,そのような将来像は,皆さんが身につけてきた実力に裏付けられたものであって欲しいと願っています.
■末は博士か大臣か
この言葉を聞いたことがあるでしょうか.これは,昔の立身出世の目標を標語のように言い表した言葉です.「出世」までのプロセスはともかくとして,目標が単純で,生きている社会がモデルとして分かりやすい時代のものでしょう.残念ながら現在ではそう簡単ではありません.職業や社会生活に求める価値観が非常に多様になっています.キャリアアップのための転職が当たり前となり,終身雇用制度は盤石のものではなくなりつつあります.国際的にトップの大企業が,つぶれないまでも,主力と思われている部門を競争相手に売却するといった大きな変革を行います.日常的に使うような商品でさえ,材料調達から製造・販売まで国際的な規模で行われます.もう少し時間スケールを長く取ると,今のペースで環境破壊が進むと将来私たちの生活の質を相当落とさなければならない,と言われています.お祝いの文章に,ネガティブなことを並べましたが,見方を変えれば積極的なチャンスがあるとも言えます.このように,価値観が多様化し,安定しているとみえた組織が大きな変革をするような,将来の予測が難しい中で,人生の最適化を考えることは極めて難しい問題となっています.
■鉄男,鉄子の最適化問題
最適化問題は私の専門とするテーマです.これは,課題を解決するために,考慮しなくてはならない条件の範囲(制約条件,モデル)の中で,良いとされる目標値(目的関数)を最大にする方策(解)を見つける問題です.曖昧さのない万能のツールのようにみえますが,現実の問題に応用するにはくせ者です.朝の通勤電車が非常に混雑していることは,皆さん経験済みのことと思います.会社に通うようになると,さらにその最前線に立つことになります.これを例にとりましょう.
昨年の春から,東急電鉄田園都市線では,混雑を緩和するために,禁じ手といえる手が打たれました.それは,朝の急行電車を格下げして,すべてを普通電車にしてしまうことです.通勤客は,快適に通勤したいと思っています.快適さの主な要素は,乗車時間が短いことと混雑しないことでしょう.各社とも通勤時間を短縮することが良いサービスであるとして,過密なダイヤの中を工夫して急行を走らせています.首都圏の通勤客は混雑よりも,乗車時間が短い方を優先する傾向が強いので,急行に乗客が集中します.すると,ホームでの乗り降りに時間がかかって遅れが生じ,1カ所の遅れが,先々の駅と後続の電車に波及していくので遅れが積み重なり,すべての電車が大きく遅れることになります.早く着くはずの急行も意味が無くなってしまうわけです.そこで,自分は早く着きたいという“個人の欲望”を制限する手段を導入し,混雑の平均化をねらったわけです.これによって,普通電車は前よりも混雑するものの,運行が安定して遅れが少なくなり,急行があるときよりも全員の乗車時間の平均値は短縮されるというわけです.このように,目的関数を個人とするか全体とするか,電車運行モデルをどう作るかで解が大きく変わります.
また,もし通勤の快適さが目標であるならば,出勤時間を完全に分散させて,真夜中にも通勤するようにすれば問題は解決です.実際,ラッシュのピークは8時を中心とした前後30分位で,残りは空気を運んでいると思えるからです.しかし,この解は現実的ではなく,会社に出かけることには,同僚や客と会うことも含まれているはずですから(真夜中に一人でオフィスにいても意味がない),通勤よりも上位の目的関数を考えないといけないわけです.
■問題の構造を見いだす大局観
このように,解決しようとする課題の本質は何かをとらえることが必須です.そして,表面的な条件をすべて取り入れるのではなく,問題の構造を見いだす大局観が求められます.冒頭に,社会の変化が著しく,先の予測が難しいと述べました.すべてを説明できる訳ではありませんが,ITの進展によって,世界中の情報が利用できるので,解を考える範囲が広くなり,しかも世界中のモデルを参考とすることができる,というように選択肢が広がっています.それゆえ,問題が非常に扱い難く,短期間に状況が大きく変化します.
それではどうしたらよいでしょうか.得られる情報は所詮人間の考えたことですから,それを参考にはするものの,さらに適切な解を見いだせるという自信を持って,自分の考えを進めることが大切です.そして,その自信の核として,それぞれの専門分野で自分の考えをまとめたという知的な体験を置いてください.私がよく知っている,理工学部の卒業研究を例にとりましょう.研究を始めた当初は,ほとんど手探りの状況の中で,問題らしきものを見つけ出したでしょう.他の研究者の取り組みを調べながら,自分で答えを知りたい,もしくは知ることが出来る問題の形に作り,自ら考えた方法を試しながら,成果にたどり着いたと思います.その途中には,試行錯誤の繰り返しと,潔い撤退と,ほんの数回の,しかし大変に嬉しい成功があったと思います.研究室での議論やアドバイス,外の研究発表会における交流の中で研究を進めてきたことは,貴重な体験に違いありません.このような自主的な研究体験は,ここでしか得られない貴重な財産でありますし,それを経験しなかった人に対する大きな優位点となるでしょう.
このような知的な体力が身についていることに,大きな自信を持っていただきたいと思います.この知的体力をもって,新しい課題,新しい分野に果敢に挑戦されることを大いに期待しています.
田口 東