『ひょっこりひょうたん島』に見るテレビ人形劇の可能性(伊藤悟氏特別講演会)
【『学びの回廊』特別講演会開催のお知らせ】
中大法学部×読売新聞が実施する連続市民講座の映像を学生チームが撮影し、番組化する 『学びの回廊 2012』 のイベント企画として、この度、NHKの「ひょっこりひょうたん島」リメイクにかかわった伊藤悟氏の特別講演会を中央大学放送研究会主催のもと、実施します。
当日の講演会は、予約不要、参加無料です。
地元住民の方や「ひょっこりひょうたん島」にご興味のある方、学生やご父母、卒業生の方々など、どなたでもご参加いただけます!
▼ひょっこりひょうたん島とは……
国民的「文化遺産」となった、NHKのテレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』。
1964年4月6日から1969年4月4日まで、再放送等を除いて1224回放送された人気番組であり、毎週月曜~金曜の午後5時45分~6時、週5回の放送ながら、視聴率は5年間平均17%、最高視聴率は37.5%(第906回)と、時間帯を考えると驚異的な高視聴率で放送されておりました。
本番組は、動く島に偶然住み着くことになった大人と子どもたちが、希望を持って様々な困難に立ち向かい、みんなの力で切り抜けていく物語です。90年代のリメイク版などを経て今も根強い人気を保っており、2003年の「もう一度見たいあの番組」人気投票(NHK)では、「おしん」に次ぐ2位でした。テーマソングは、フォーククルセダーズ以来、多くのアーティストにカバーされ、中でもモーニング娘。の振り付けは、子ども向けダンスとして授業でも使われ、甲子園の応援でもブラスバンドが演奏する定番曲となっています(ファンクラブも健在)。
予測不可能なストーリー展開、ポップな歌に変わるミュージカル性をベースに、人形による表現を極限まで追求、さらに当時のテレビ技術を総動員して作られた本番組。「いばっている者」「理不尽なこと」に闘いを挑む展開が多く、子どもも大人も対等に知恵を出し合い、人間の数だけ生き方があり、きれいごとではなく個性をぶつけ合い、「折り合い」をつけながら共に生きていくことがテーマになっていました。
1969年4月4日の最終回以来、再放送の要望は何度も起こり、新聞にも取り上げられましたが、当時ビデオテープは高価で、再利用してすり切れると捨てていたため、今見られるオリジナル版は、ディレクターが資料用に必死で残した8本(テレビの画面を映画のフィルムで撮った「キネコ」)だけしかなく、再放送は難しいと言われていました。
そんな中、1990年、衛星放送普及のために、やっとリメイクが決まり、ディレクターの雪正一氏が引き受けたものの、亡くなっていた藤村有広氏の代わりにガバチョの声を頼んだ人が次々と辞退、土壇場で名古屋章氏が引き受けてくれなければ中止も考えられたという状況でした。さらに、セットやタイトルなどの画像資料もなく、台本も4分の1が欠けていたという非常事態!
必死で資料探しをしていたスタッフが思い出したのは、オリジナル放送当時、番組すべての克明なメモをとっていた少年がいたということでした。人形劇団ひとみ座と交流があったことから、その少年・伊藤悟君の家を探し出し、そのノートや、彼が保存してあった台本の提供により、リメイクが実現したのでした。セリフのほとんどが彼のノートからとられた回もあったほど。
「ただ面白かったから、自分で再度楽しむために、必死でメモして、何度も読み返してはその世界にひたっていました。不登校気味だった私にとって、ひょうたん島は、私の内面から生きるちからを引き出してくれました。」 伊藤少年は後に、そのように語っていました。
残念ながら、シリーズとしてはオリジナル版の約5分の1、それも、短縮版でしかリメイクされておらず、雪正一氏は、「台本を削るのは、身を切られるようにつらかった」と語っています。
リメイク版は、ストーリーこそオリジナル版と同じですが、技術の進歩により、オリジナル版と違う点もたくさんあります。人形も「はりこ」(型に紙を貼り付けて成形)で作るようになり、回転体である必要がなくなったので、サンデー先生のスタイルや顔立ちが良くなるなど、洗練されました。撮影も、各シーンごとに分けて撮影・編集できるようになったため、じっくり操演可能になりました。テレビカメラ、そして受像器の解像度も上がり、それに対応して、セットもきめ細かく、より美しく作られるようになりました。
今回講演いただく伊藤悟氏は、このリメイク版を作る上で詳細なメモを取っていた、あの、幼い伊藤少年です!
『ひょっこりひょうたん島』に魅せられ、そのまま番組を再現できるほどひょうたん島の世界に浸かっていた少年時代の熱い想いを、中央大学で語っていただきます!