【新聞記事】「橋に生きる顔」中央大学・平野廣和教授
2006年1月21日(土)橋梁新聞6面(橋梁新聞社から許諾をいただき一部改変の上転載)
--------------------
「橋に生きる顔」
中央大学 総合政策学部 教授 平野廣和さん
--------------------
「その時々の最先端の技術に関わってこられたことが大きな財産になっています」
三井造船に籍を置いていた当時、大鳴門橋の風の数値計算をはじめ、下津井瀬戸大橋のタワー、明石海峡大橋のケーソン、来島海峡大橋の桁断面など、本四架橋の多くの物件で設計に携わってきた。
一方で、「今の学生は大きなプロジェクトもなく、可哀想な気も」するという。「我々の世代は本四の後にも横浜ベイブリッジやレインボーブリッジなどを経験してきました。40代以下だと吊橋の架設すら知らない人も多く、今後が心配です」
ただ、「長大橋の発注が減ってきて技術の継承が業界全体の課題になっていますが、視点を変えれば技術を生かした新たなビジネスチャンスはたくさんあると思います」とも続ける。
自身も交通管制用カメラや橋梁上の長柱構造物、さらには十勝沖地震で火災が起きた石油タンクまで、幅広い分野での制振装置の開発に努めている。
「私が本四の経験を基に研究をしているように、世の中の人が困っていることに対して、橋梁技術者は応えることができるはずです。橋梁の技術を橋梁にしか生かさないのはビジネスとしてももったいないし、社会的な損失とも言えるのではないでしょうか」と提言する。
人材育成の立場としては、「最近の人はCADなどが進歩したためか、数値に頼りすぎている気がしますが、それでは困ります。学生はできる限り現場に連れて行き、構造物を頭の中で立体的にイメージできるように」心掛けている。
自動車好きで整備士の資格を取るなど、趣味は幅広い。休日は「ホームセンターにいるとアイディアが浮かぶことが多いので」よく散歩しているとか。
東京都出身、50歳。
(門馬照久記者)
(株式会社橋梁新聞から転載と一部改変の許諾をいただき、2006年1月21日(土)橋梁新聞6面より転載いたしました。禁無断転載。)